「学問」と「問学」

  ここ数年、教育界のキーワードである、「アクティブ・ラーニング」(AL)について考えてきました。その過程で、協働学習といった、授業中における生徒の学習行動に注目するだけでなく、生徒の頭(mind)と心(heart)が「学び」に対して前向きに動いているかを注目することも、大切だと考えるようになりました。

 

 生徒の脳の動きに関して、「問い」かけることが思考を活性化させることに改めて気づきました。「考える」行為の背後には、ある種の「問い」が存在し、両者は密接な関係にあるということです。

 

 思考を通して学びが行われるとすれば、学びは問いにより導かれることになります。そう考えて辿り着いた言葉が「学問」です。文字通り、「学び問う」という意味で「学問」という言葉が、日常的に使われるようになれば、アクティブ・ラーニングと言わなくても、主体的な学びに繋がっていくであろうと思いました。しかし、現在の社会では、「学問」と言うと、大学で行われている高度な研究を連想されることが多く見受けられます。この意味で解釈されると、「学問」は生徒たちにとっては、遠いところにあり、自分との関係が薄い存在になってまいます。

 

 このような多義性を避けるために思いついたのが、「問学」でした。文字通り、「問い、学ぶ」の意味です。最初は、言葉の響きに少し違和感を持ったのですが、インターネットで調べてみると、『中庸』の書の中に存在することを知りました。その書には「君子は徳性を尊んで、問学に道(よ)る」(君子尊徳性而道問学)とあります。思想家で陽明学者でもあった安岡正篤氏は「(『中庸』の著者)子思の学を論ずるや、『徳性を尊んで而して問学に道る』の一語に総括されておる。」と述べています(『王陽明』(PHP文庫)p.125)。さらに、前回のブログで紹介したように、日本国語大辞典(小学館)には、すでに「問学」の言葉と定義(名)知らないことを問いたずねること。知らないことを学ぼうとすること。学問を得ようとすること」が存在しています。

 

 「問学」という言葉がすでに存在し、古来より重要な役割を担っていることを知り、生徒の学びを促進し深めるために、この言葉を用いることに決めました。このことを職場で話すと、強く共感・賛同する同僚も現れ、「問学」という言葉を自分たちの教育現場で使い始めました。それと同時に、「問学」についての研究と実践を深めていく必要を感じたため、「問学教育研究部」を立ち上げました。

 

 「問うこと」と「学ぶこと」を合わせる意味として、「学問」と「問学」は基本的には同じです。しかし、多義性を持たない「問学」の方が、文字通りの意味を直接的に伝えるので、理解されやすいと思われます。さらに、アクティブ・ラーニングのような英語からの由来であるカタカナ表記の言葉とは異なり、漢字により意味が直接伝わる力を「問学」は持っているように感じられます。それ故、「問い学ぶ」という意味を正確に伝え、その姿勢と行動を促すことができるように、「問学」という言葉を様々な場面で積極的に使用することにしています。

 


(参考文献)

安岡正篤(2006)『王陽明:知識偏重を拒絶した人生と学問』PHP文庫