前回のブログでは、新しい教育が必要である背景について述べました。その背景は、グローバル化とIT(情報技術)革命の進展です。野口悠紀雄氏の著書「日本経済入門」では、「新興国の工業化や情報技術の進展といった世界経済の大きな構造変化に、日本の産業構造が対応できていない。」(p.5)と述べています。言い換えれば、20世紀後半での日本の経済的成功体験から抜け出すことが出来ないままで、製造業中心から脱し新たな産業構造に転換できていないことでもあります。
アメリカを先頭に先進国は、この新たな状況にいち早く対応しようとしています。欧米では "21st century skills"「21世紀スキル」と呼び、21世紀に社会に必要とされるスキルを身につける必要があると言われています。日本では、2013年に国立教育政策研究所が「21世紀型能力」を発表しています。
https://www.nier.go.jp/05_kenkyu_seika/pf_pdf/20130627_4.pdf
そこでは、「①思考力を中核とし、それを支える②基礎力と、使い方を方向づける③実践力の三層構造」を描き、それを「21世紀型能力」とし、それが「生きる力」(life skills)になっていく、としています。
「21世紀型能力」の具体的な内容は、今回のブログでは触れません(知りたい方は、上記のリンクにアクセスして下さい)。私が注目したのは、「能力」という言葉です。デジタル大辞泉によると、「能力」は、
①物事を成し遂げることのできる力。「能力を整える」「能力を発揮する」「予知能力」
②法律上、一定の事柄について要求される人の資格。権利能力・行為能力・責任能力など。
としています。「21世紀型能力」と言う場合、明らかに①の「物事を成し遂げることのできる力」の意味です。
それに対して、欧米では「21世紀スキル」(21st century skills)と言われます。「能力」の直訳的な "abilities" とは言わずに、"skills" になっています。洋書を読むとよく "skills" を見かけます。就職する際に、「スキルがある」 "skilled" か「スキルのない」"unskilled"かが、その分かれ目とされています。つまり、就職するときには、スキルが必要であるという意味になります。次に、高度なレベルの仕事に就けるか否かは、「高いスキルがある」"highly-skilled" かです。「低いスキル」"low-skilled" では無理です。ノーベル経済学賞を受賞した James J. Heckman (ジェームス・J・ヘックマン)の著書 "Giving kids a fair chance" では、冒頭に "American society is divided into skilled and unskilled."(アメリカ社会は「スキルのある者」と「スキルのない者」に分けられている。」 の文が書かれれています。
日本語では「スキル」と言うと、特に深みある言葉で使用されていない印象を持たれる人も多いと思われます(私だけかもしれませんが)。先ほどのデジタル大辞泉では、「スキル」を「手腕。技量。また、訓練によって得られる、特殊な技能や技術。」としています。上記の英語での "skills" とはニュアンスが異なるように感じます。「高い」「低い」の意味合いよりむしろ、「特殊な」「一般的」の意味合いが感じとれます。
「高い」「低い」の形容詞を用いる "skills" に近いのが、「高い能力」「低い能力」という表現が可能な「能力」という言葉です。"21st century skills" と「21世紀型能力」の表現からも、"skills" と「能力」の互換性が高いことが分かります。
(参考文献)
野口悠紀雄(2017)「日本経済入門」:講談社
James J. Heckman (2013). Giving kids a fair chance: a strategy that works. MIT Press