問いを生きる

 「問学」について同僚と話していると、オーストリアの詩人で作家であるリルケ(1875ー1926)の言葉を紹介してくれました。リルケは「問い」について『若き詩人への手紙』(新潮文庫)の中で次のように述べています。

 

 「あなたはまだ本当にお若い。すべての物事のはじまる以前にいらっしゃるのですから、私はできるだけあなたにお願いしておきたいのです、あなたの心の中の未解決のものすべてに対して忍耐を持たれることを。そうして問い自身を、例えば閉ざされた部屋のように、あるいは非常に未知な言語で書かれた書物のように、愛されることを。今すぐ答えを探さないで下さい。あなたはまだそれを自ら生きておいでならないのだから、今与えることはないのです。すべてを生きるということこそ、しかし大切なのです。今はあなたは問いを生きて下さい。そうすればおそらくあなたは次第に、それと気づくことなく、ある遥かな日に、答えの中へ生きて行かれることになりましょう。おそらくあなたはご自身の中に、造型し形成する可能性をもっていらっしゃることと思います、特別に幸福な純粋な生の一つの在り方として。これへ向かって御自身の芽をお伸ばし下さい」(p.30-31)

 

 Michael Harris氏の"The End of Absence"を読んでいると上記のリルケの引用(一部)がありました。

 "Live the questions now.  Perhaps you will then gradually, without noticing it, live along some distant day into the answer."(p.80)  おそらく、この部分は有名な箇所なのでしょう。

 

 「問いを生きる」ということは、24時間、常に「問い」が供にあると解釈できます。「問いを生きる」はすごい言葉です。これを実行できる人はそれほど多くいるとは思えませんが、少しでも「問いを生きる」ようにする術の一つが、「問学」であると思います。

 


(参考文献)

リルケ 高安国世訳(1953)『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』新潮文庫

 

Michael Harris (2014) The End of Absence: Reclaiming what we've lost in a world of constant connection.  Current