これまで「スキル論」と題して、日本語の「能力」や「〜力」が英語の ‘Skills’ の意味合いで用いることが出来ること、それに対して日本語での「スキル」は、「特殊な技能」というニュアンスを含まれるので、英語の ‘Skills’ の意味のズレが生じることがあると述べました。今回は、‘Skills’ の定義を調べることにより、その単語の意味を明確にしながら、日本の教育で重要な鍵を握る「学力の3要素」についての私見を述べることにします。
‘Skill’ の定義は インターネット上の Merriam-Webster dictionary によると、
・‘the ability to use one’s knowledge effectively and readily in execution and performance’
(物事を行う際に知識を効果的かつ直ぐに使う能力)
・‘dexterity or coordination especially in the execution of learned physical tasks’
(特に、身につけた身体的課題を行う際の器用さ、あるいは調整具合)
・‘a learned power of doing something completely: a developed aptitude or ability’
(何かを完全に行なう力のことで、学習により身につけた能力)
となっています。
さらに、Collins COBUID Advanced English dictionary では、
‘A skill is a type of work or activity that requires special training and knowledge.’
(特別な訓練や知識を必要とする仕事や活動)
‘Skill is the knowledge and ability that enables you to do something.’
(物事をするのを可能にする知識と能力)
などです。
これらの定義から明らかになることは、英語の ‘skill’ では、「知識を活用する」ことが含まれるということです。日本語では、よく「知識の活用」の重要性が語られることが多いですが、英語では「知識の活用」と言った場合、 ‘skill’ で事足ります。日本語での「技能・スキル」の場合、「知識の活用」の側面は考慮されていないように思われます。その具体的な事例が「学力の3要素」です。
「学力の3要素」とは、元々は学校教育法第30条第2項に記されているものです。それは以下の通りです。
「2 前項の場合においては,生涯にわたり学習する基盤が培われるよう,基礎的な知識及び技能を習得させるとともに,これらを活用して課題を解決するために必要な思考力,判断力,表現力その他の能力をはぐくみ,主体的に学習に取り組む態度を養うことに,特に意を用いなければならない。」
ここから3要素を抜き出すと、
①「基礎的な知識と技能」
②「①を活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力等」
③「主体的に学習に取り組む態度」
となります。
これらを踏まえ、今年の1月31日に文部科学省が発表した「高大接続改革の方向について」の資料の中の「学習指導要領改定の方向性(案)」のスライドには、「何ができるのか」を示す内容として以下のように表現しています。
それは、「新しい時代に必要となる資質・能力の育成と、学習評価の充実」と題して、
①「生きて働く知識と技能の習得」
②「未知の状況にも対応できる思考力・判断力・表現力等の育成」
③「学びを人生や社会に活かそうとする力・人間性の涵養」
学校教育法であれ、学習指導要領であれ、どちらにしても、学力を「3要素」に分けています。これらの考えは学校教育法に拠っているため、どうしても3要素の発想から抜け出すのは難しいのでしょう。私の知る限りでは、過去から現在に至るまで、書籍や教育系雑誌において学力の3要素を説明するのに、この枠組みを基にしてされています。
それに対して、英語表現の視点からこの枠組みを理解する場合、新たな視点を提示することが可能になります。それは、②の「思考力・判断力・表現力」の部分を、「判断力」を除き①の「技能」として扱うことです。
ここで「判断力」 ‘judgment’を除く理由は、それが「問学」の中で究極の学びであると捉えているからです。「問学によって何を得ることができるのか」で述べたように、学びにより「知識と技能・スキル」を得るだけでなく「智恵」も得ることが出来るとしています。「智恵」とは「物事の本質を見極めること」と「正しい判断力」の言い換えです。正しい判断に至るには、思考するだけでは不十分です。思考だけでなく感情の部分も関与するために、「判断力」には総合的な力量が問われます。「判断力」を最上のものとすると、それに至るために「思考力」が必要とされ(十分条件ではありません)、判断された後で、それを「行動」に移したり「表現」したりする行為が生まれます。
「思考力」は英語では ‘thinking skills’ `と表現されることが多く、その直訳は「思考スキル」または「思考技能」です。前者の方が理解しやすいかもしれません。今回「スキル(Skills)論」として数回に渡って述べてきたことで分るように、「思考力」では、その人が持つ素質に起因されるイメージが強く、そこから具体的なものを知ることは難しくなります。一方、「思考スキル」は、その具体的なスキル、例えば、「論理的に理由を述べる」であるとか「他のものと比較して考える」など、より明確な指導につなげることが可能になります。また、そのスキルを訓練することにより「誰もが一定のレベルまで習得できる」と考えることができ、その学びを生徒と教員が共有し易くなります。
さらに「表現力」に関しても、英語で ‘expressing skills’ と言うかどうかは知りませんが、‘writing skills’ ‘presentation skills’ ‘speech skills’ といった様々な表現に関する、より具体的な「スキル」があります。「スキル」と表現する以上、「思考力」と同じで「訓練によって習得できる」と捉えることができます。
要するに、私が「学力の3要素」を耳にしたり目にしたりする時に考えるとことは、「判断力」を除き、「思考力」と「表現力」をそれぞれの「スキル」と考えて、具体的な「スキル」は何を指すのかと明確にすることです。こうすることによって、高大接続改革において強調される「思考力・判断力・表現力」の育成についての議論がよりいっそう活性化するものと考えます。
「学力の3要素」について私が懸念するのは、「技能」という言葉があまり強調されていないため、却って「〜力」という言葉がマジックワード化してしまい、それを具体的に示すことが難くなっていることです。今回の「スキル論」のテーマで主張したかったのは、「〜力」を用いる際に「スキル(技能)」と言い換えることが出来る場合には、「スキル」を使用しその具体的な内容を検討し実践する方が、より質の高い教育につながるということです。