スキル(Skills)論(その6)-AI/IoT時代のスキル-

 右の図は、これからは、高いスキルを持った(highly skilled)人材が必要なることを示してます。Pulitzer Prize(ピューリッア賞)を3度も受賞した世界的に有名なジャーナリストであるThomas Friedman(トーマス・フリードマン)による最新本  'Thank you for being late' は、「AI/IoT(人工知能/物のインターネット化)などにより加速するデジタル社会」、「グローバル化する市場」、「地球温暖化が進む地球環境の危機」に焦点を当てています。この中で、今日の社会では、依然としてhigh-wage, high-skilled jobs(高給で高いスキルの仕事)は存在するが、これまでの high-wage, middle-skilled jobs(高給で普通のスキル仕事)はないと述べています(p.204)。

 

  AI/IoT時代においては、コンピューターの処理能力が1年半から2年で倍になるという「Moore's law(ムーアの法則)」によって、急速にAIが進化していることが背景にあります。AIが囲碁の世界チャンピオンを負かした事例からも、その進化が分かることですが、AIでは不可能と考えられてきた、高度な知能を要する分野においてもAIによる人の仕事の代替が起こっています。

 

 身近の例としては、高校で英語を教えている私は、Google翻訳の機能が劇的に向上しているのを知り、日本で行われてきた、英文法に基づき英語を日本語に訳すという「文法訳読式」(Grammar Translation Method)が、要らなくなるではないかと予感しています

 

 今までは英語を日本語を介して理解する方法を教えることに膨大な時間をかけきました。この方法を習得するのに膨大な時間だけでなく努力も要しました。その上、英語運用能力を培うとなると、さらなる時間を努力を要しました。これらが、すなわち、英→日、日→英の変換がある一定のレベル(仕事を行う上で支障ない程度)までAIにより瞬時にできるようになると、授業で英語で学ぶ必要性がなくなります。何故なら、AIによって、英語の話者意思伝達を行うのには、英語を直接理解する必要がなく、その内容を日本語で理解でき、逆に、伝いたいことを日本語で表現するだけで事足りるようになるからです。今月発売の大修館の英語教育(9月号)では、夏目漱石の小説「吾輩は猫である」の冒頭部分をGoogle翻訳で行った場合を紹介しています。文脈を読み取ることができないためにトンチンカンな英文もありますが、全体的にはかなり出来の良い英文です。以下に、その英文と日本語の部分を引用します。

 

 "I am a cat. There is no name yet.  I have no idea where I was born.  Everything remembers only those who were crying Nyana at a damp and damp place.  I first saw human beings here.  Morever, when I listen to it later, it seems that it was the most violent tribe in the human beings as a student.  This story is a story that we sometimes catch us and eat it boiled.  But since I had no idea at the time, I did not feel afraid. " (p.30)

 

「我輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。我輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕まえて煮て食うという話である。しかしその当時は何という考えもなかったから別段恐ろしいとも思わなかった。」(p.30)

 

 現時点でこれだけできるとなると、先ほどの「ムーアの法則」とAIを向上させる「機械学習」(Machine Learning)により、日々膨大の情報を処理して自ら学習しているGoogle翻訳の機能は、今後もその質の飛躍的な向上が予想されます。何時間もかけて身につけるのがAIに劣る英語力であれば、それにかける時間を他の学習に回す方が良いという意見や政策が出てきてもおかしくありません。

 

 この状況を論理的に考えを進めると、「英語教育が無くなるのか」という問いが出てくるのことが予想されます。それに対する私の答えは、「無くならない。」です。ただし、英語教育の内容が大きく変わるでしょう。英語で情報を得て知に変えたり、交渉などの場面で英語の話者に説得や納得させたり、といった高度なレベル(high skills)のスキルを習得する内容の授業になるでしょう。教員にもそのような授業をするスキルが求めらます。生徒がそこまでのスキルに辿りつくことがなければ、今までのように時間をかけて英語学習をする必要は無くなってきます。それよりも別のこと、例えば、AIを使って英語を翻訳した日本語を読むにしても、その内容を理解するに足りる読解力(Reading skills)の養成や、翻訳した英語が相手に理解しやすい日本語の書く力や話す力(Writing skills or Speaking skils)をつける学習に時間をかけるということです。

 

 英語教育の例を挙げて説明しましたが、一般的に高度なスキルの具体的なものとして、先に紹介した Friedman は、英語圏では昔から3と呼ばれる Reading, Writing, Arithmetic (読み、書き、計算能力)に加え、4つのC、Creativity, Collaboration, Communication, Coding 「創造性、協働性、コミュニケーション、コードディング(コンピューター用のプログラム組むこと)」を紹介しています(p.211)。時代が目まぐるしく変化する中で、それに対応することができるスキルの習得が求まれます。それは、間違いなく、今までよりも高度なスキルです。「スキル論(その1)ー教育改革の背景-」で述べました「知識基盤社会」における新たな知の創造は、これらの高度なスキルを習得し活用することで達成できるのです。


(参考文献)

Thomas L. Friedman (2016). Thank you for being late: An optimist's guide for thriving in the age of accelerations. Farrar, Straus, and Giroux

 

竹内和雄(2017) 「AI時代に英語教育は必要か?」『英語教育』 Vol.66 No.6 pp.30-31. 大修館書店