前回のブログでは左図を紹介しました。これは、「主体的な学び」を考えるの当たって、その当事者である「学習者」および「教師」を「主体的」proactive、「反応的」reactive、「不活発」inactive の3類型に分類し、それぞれの組み合わせをしたものです。
これらの組み合わせから見えてくるものは、「主体的な学び」は、右上に位置する「主体的な学習者」(PL)と「主体的な教師」(PE)の組み合わせにより生じるものであることを述べました。
アクティブ・ラーニングにおいても同様の組み合わせが当てはまります。ただ気を付けなければならないことは、左側中央に位置する「反応的学習者」(RL)と「主体的教師」(PE)においても、アクティブ・ラーニングとされる可能性があります。学習者が、常に教師の指示や庇護の下で学習する場合、その学習者の学習行為が教室内でいかに活発にであるとしても、真の意味で「主体的な学び」を行っているとは言えません。何故なら、一旦、教師の指示や庇護がなくなれば、学びを続けて可能性が低いからです。生涯に渡って学び続けるには、教師の指示に反応して学ぶのでなく、教師の指示にあるなしに関係なく自ら学ぶ、主体的な学習者へと変容する必要があります。
このことは、反転授業の実践にも当てはまります(下の画像)。反転授業が最もうまくいくのも、「主体的な学習者」(PL)と「主体的な教師」(PE)の関係においてです。この関係で反転授業を行うと「主体的な学び」proactive learning が生まれます。さらに、それぞれの「主体性」が互いに影響しあい、その先には「個を越える学び」transactive learning につながるものと考えます。(これに関しては次回のブログで述べることにします)
上記の学びは、理想的な学びです。実際は、「反応的学習者」(RL)が多く見受けられるのではないでしょうか?私の反転授業の実践においても、このタイプの学習者が大半を占めます。例えば、反転授業の要である、解説動画を視聴が挙げられます。私の生徒は、ほぼ全員が授業前に解説動画の視聴を終えます。しかし、どれだけ身を入れてしているのかは分かりません。家庭学習の課題として、解説動画の視聴をする際に、それを補助するプリントに書き込み、それを提出します。そのプリントをチェックすると、動画の解説を視聴して、ただ単に動画の文字を写しているだけの印象を与えるプリントが見受けられます。
何もしない「不活発学習者」(IL)と比べると、それも悪くはないのですが、教師として少しでも向上することを望むので、「反応的学習者」(RL)からいかに「主体的学習者」(PL)に変容を促すかが、教員の力量にかかっていると考えています。