主体的な学び(その6)-反転授業が普及するための鍵-

 反転授業やアクティブ・ラーニングにおいて、「主体的な学び」が起こるのは、左図の右上に位置する「主体的な学習者」(PL)と「主体的な教師」(PE)の関係で行われる授業です。どちらも主体的に取り組みで理想的な段階です。

 

 前回のブログでは、いかにして学習者を「反応的」から「主体的」な状態に変容するのかを述べました。今回は、教師側の状態に注目します。

 

 左図の左上に位置する「主体的学習者」(PL)と「反応的教師」(RE)の関係においては、学習者は積極的に学習を行うのですが、一方、教師は与えられた教材や教科で求めれる内容をこなすのみで、そこには何ら創造性や独創性を伴わない授業を行う場合が挙げられます。教師用指導書をただ生徒に伝えるだけでは、教科に対する面白みを伝えることは困難になります。教師には、教科を教えることに対する情熱や楽しみ、あるいは苦しみを乗り越えた時の喜びなどが、AI(人工知能)の時代には、より一層求められます。以前に何度か紹介した Thomas Friedman の Thank you for being late には、次のことが書かれています。

 

 "What comes from the heart enters the heart.  What doesn't come from your heart will never enter someone's else heart.  It takes caring to ignite caring; it takes empathy to ignite empathy."(p.13)

 「心(ハート)から出てくるものは、心(ハート)に入る。あなたの心(ハート)から出てこないものは、決して他人の心(ハート)に入らないだろう。人を思いやる気持ちを喚起するには、自らの人を思いやる気持ち要る、つまり、人の共感を喚起するには、自らが共感するのが要るのだ。」(拙訳)

 

 社会脳(social brain)を持つと言われる人間には、感情が感染するという特徴があります。教師が「主体的」になるには、情熱(passion)が必要です。その情熱が生徒の心(ハート)に入り、前回で述べた「反応的学習者」が「主体的な学習者」に変容する際のエネルギーとなるのです。このエネルギーは教師も学習者から得ることがありますが、まずは教師が持つことが前提となります。

 

 「反応的教師」(RE)が「主体的教師」(PR)に変容し、その数が増えれば、反転授業を行う数も増える可能性が高まり、それがひいては反転授業の普及につながるものと考えられます。情熱は必要な要素ですが、それが空回りになることがあります。次回は、情熱以外の要素も考え、いかにして教師が「反応的」から「主体的」に変容するのかを述べることにします。