「神経可塑性」(neuroplasticity) と「問学」(その1)-The mind is plastic.-

 10月から「主体的な学び」や「主体性」をキーワードとし、今までに発表してきたことや考えてきたことを綴ってきました。今回は、少し視点を変えて、学びに対して「反応的」である生徒に対して、少しでも前向きに学ぶ姿勢をおこすようになることを願って、話す内容について述べます。

 

 黒板に "The mind is plastic." と書いて、二つの質問をします。最初の質問は、「the mind はどこにあるのか?」と尋ねて、自分のどこの部分を示すのかを指差してもらいます。ほとんどの生徒は、自分の「胸の部分」を指差します。正解は、「頭のところ」です。"mind" を「心」と日本語訳し、「心」に部分を指差すと胸あたりなりますが、英語では基本的には、その部分は "heart" となります。英語と日本語では、イメージするものが違うことを指摘します。

 

 さらに、"mind" に関して、この単語の形容詞を問います(答えは返ってきませんが)。答えは、"mental" です。「心の。精神の」という訳がありますが、「知的な・知能の」や「頭の中で行う」という意味があります(Eゲイト英和辞典より)。"take mental notes" と言えば、「頭の中でメモをとる」という意味になります。簡単に思われる英単語でも、英語と日本語とはイメージが異なることを生徒は理解します。

 

 もう一つの質問は、「plastic とは何ですか?」と尋ねます。plastic は、「プラスチック」なので、日常で見かける「プラスチックの素材」を思い浮かべ、「頭が固い」と誤解する生徒が大半です。そのような誤解を解くために、 "plastic bag" が「ポリ袋」「プラスチック袋」であることを示し、それが固定しているものではないことを伝えます。"plastic" には、「可塑(かそ)性の」「自由に形を変えられる」の訳(Eゲイト英和辞典より)があると説明します。

 

 最後に、"The mind is plastic." とよく似た表現に、"The brain is plastic." を紹介します。「脳は可塑性がある」という意味で、より具体的に言えば、脳内の neuron (神経細胞、ニューロン)の組み換えが、可能であるということです。それが、"neuroplasticity" と呼ばれる「神経可塑性」です。脳科学の研究によると、脳卒中を患った患者の中には「神経可塑性」により、完全とは言わないまでもかなり回復した事例があるとのことです。生徒に知ってもらいことは、「神経可塑性」により、これからも生徒に脳は変化し、学力を向上させることができるということです。それを可能にするのが、「トレーニング」です。英語では、「Eトレ」と私が呼ぶ、English Training で英語力の向上を目指すと伝えます。「Eトレ」に関しては、次回に説明します。

 

 ところで、 plastic は、今では日常で使用する「プラスチック」の意味ですが、新渡戸稲造が英文を読んでいると、可塑性の意味で plastic を使用している箇所があります。

 

   "But alas! by the time we become older and are advanced in wisdom and discretion, our mental plasticity weakens and with it our ability to imitate.  Happy the man and happy the nation that can combine mature judgment with plasticity of mind, and thus retain a capacity for perennial growth!" (『新渡戸稲造全集 第12巻 p.177)

 「しかし、我々がもっと年を重ね、智恵や思慮分別において高度な発達をとげるまでに、我々の心の可塑性が弱まり、それとともに真似る能力も弱まる。幸福なものは、円熟した判断力と心の可塑性が合わさり、それ故、永遠に成長する力を持ち続ける人や国家であろう!」(拙訳)

 

 これは 1903年に書かれた文です。新渡戸が当時、英語を学ぶ学生のための雑誌に載せた英文で、のちに他の文章を集め、Thoughts and Essays というタイトルとして出版されました。引用したエッセイの題は、"Imitation" 「模倣」です。このエッセイは、 " Imitation is education, and education consists mainly of imitation." (p.175) 「模倣は教育であり、教育は主に模倣である。」(拙訳)という文で始まります。デジタル大辞泉によると、「学ぶ」は「まねぶ」(まねをする)とは同語源です。新渡戸は「まねをする」=「学ぶ」=「教育」と、語源から教育を捉えたかは定かではありませんが、「模倣」の重要さを述べ、模倣をするには「正しいモデル」right models が必要であるというアドバイスもしています。