前回のブログでは、「深い創造性」について述べました。深い創造性をもたらすのは「第7感」とよばれる「洞察的ひらめき」でした。「洞察的ひらめき」に関わる要素は、「自他ともに過去や歴史から教訓や事例」、「こころや気持ちが現在に置かれていて、開放的な状態にあること」、そして「決意」です。「決意」は「洞察的ひらめき」を実現させるものです。
「決意」の言葉で思い出したのは、21世紀を迎えた17年前に前任校の卒業生に対して書いた文章のタイトルです。「IT革命」が流行語になっていた時で、これからの教育に関わり方の決意を書きました。自分を変えて行こうという決意に至ったのは、革命という言葉から「産業革命」の流れに反対する ラダイト運動を思い出したからです。「IT革命」の革命であるならば、当然、それに反対する運動や勢力が出てきます。しかし、ラダイト運動を乗り越え産業革命が進んだという歴史が示すがごとく、IT革命も反対運動や勢力を乗り越えて進んで行くであろうと考えました。教育界もその流れに沿って行くであろうと予測し、10数年前から「解説動画」を作成し、授業や補習などで活用を始め、5年前から「反転授業」を始めました。現在の「問学教育」を始める契機となったのは、まさに17前にあります。少し、長い文章でありますが、以下に紹介させて頂きます。(特に、伝えたいことは後半に出てきます。)
決意
中西 洋介
卒業おめでとう。私がこの高校に赴任してから今年の春で9年が経つ。自分が関わった生徒を卒業生として送りだすのは、今回が四度目となる。卒業生を送り出す度に感じることだが、自分が教師としてどれだけの事を生徒達にすることができたかわからない。ただ年を重ねるごとに生徒との年齢差は拡がり、教師としての未熟さを「若さ」や「勢い」でカバーすることが困難になる。それゆえ、いかに教師としての「熱意」を消えさせずに「技量」を磨いていくかが自分に与えられた課題となり、このことを忘れずに日々精進して過ごすしかないと考えている。
ただ「技量」といっても、新世紀を迎えIT(情報通信技術)革命が一層進み、世の中が急激に変化する中で、教師の技量の内容も今まで以上に多様な広がりを呈してしる。例えば、私が教える英語にしても、ただ単に大学受験のための英語を教えるだけでは十分ではなくなり、国際化時代において役に立つ、より実用的・実践的な英語力を伝授することがもっと必要になる。これからのIT革命の時代においては、より精巧な自動翻訳機や通訳機が次々と登場するだろうし、大学入試自体も受験生の人気を集める大学を除いては、受験英語そのもの自体の存在意義を持たなくなるであろう。このような潮流の中で、私自身がコミュニケーションとしての英語に取り組まないで、またその実力を持たずして、生徒に英語を教えていくこと自体がこれからは無理になるであろう。また、英語を教える以外に、21世紀社会を生きる生徒それぞれの必要性に応じ、それに見合う内容を教授し、生徒達がそれなりの能力を身に付けたり、あるいは満足感を得ることができるようにすることができる技量を磨いていくことが、今後も教師を生業とする私に求められるのである。
ここで述べた私自身の事をもっと一般化すれば、卒業する君達にも当てはまることを多く見出すことが出来るであろう。そこで、最近読んだ洋書を紹介してもっと具体的に説明したい。それは、Who moved my cheese? (チーズはどこへ消えた?)という100ページに満たないが、全米でベストセラーになった本である。米国軍部を始めとする様々なアメリカ政府機関だけではなく、ゼロックス社、シテイバンク社といった数多くの米国の大企業においても、それぞれの職員や社員に対して薦められている本である。
その内容は、性格を異にする二匹のねずみと二人の小人が迷路の中にあるチーズを探し求める寓話で、各々が直面する状況の変化にどう対応したかを述べたものである。チーズは幸福をもたらせてくれるものの象徴であり、それが職業、結婚、お金であれ何でもかまわない。迷路の中で二匹のねずみと二人の小人は苦労の末、チーズを見つけることに成功し、幸福な時を過ごす。だが、その幸福な時間は長く続かない。チーズが無くなったのだ。チーズがだんだん少なくなっていることを気が付いていたねずみ達(一匹は変化に敏感で、もう一匹は変化に対して行動が速い)は、チーズが無くなったことを冷静に受け入れ、すぐに別のチーズを探しに迷路に旅立っていった。その一方、二人の小人はねずみよりも優秀な頭脳を持っているのもかかわらず、別のチーズを探しには行かなかった。再び路に向かい危険を冒すことを怖れたからである。その恐怖心から、小人の取った態度や行動は、「誰がチーズを持っていったのか?」という現状に対する不満(実は、誰も取っているのではなく、底をついただけ)を言い続け、無くなったチーズの周辺をうろつくだけであった。暫くして、変化に対応しようとする小人が別のチーズを探しに行く決心をする。変化への対応を拒否するもう一人の小人は、再び迷路に入ってもチーズを見つからないもしれないと言って、その場を離れなった。チーズを探しに迷路に再び入った小人は、数々の危機を乗り越え最後には別の新しいチーズを見つけることが出来るのだが、その過程で貴重な教訓を学ぶ。それは、「状況の変化は常に起こるもので、その変化に自分が変化することで対応し、変化を恐れるよりむしろ楽しむことがなによりも大切である」、というものであった。
これを読んで、「臆病にならず、勇気を持って状況の変化に対応すべきである」と言うのは簡単であると考える人は多くいるであろう。変化に直ぐに飛びつき、対応しようとして大失敗するケースが実際には多々あるだろうと推測する人がいるに違いない。この話のどう受け入れるかは、読む者一人一人の判断に委ねられている。
しかし、私はこの話を21世紀の大半を生きることになる君達には大いに参考にしてほしい話だと思っている。その理由は、これからの5~10年はIT革命によって人々が今までに経験しなかったような大きな変化を体験するのではないかと、予感しているからである。民間企業では、IT革命によって既に大規模な組織改革がなされ、それに伴う人材の資質も変化しているという。ただ単に会社からの指示に従うだけでは不十分であり、積極的に会社に貢献できる発想力や行動力を持つ人材を必要としている。日本政府もIT国家建設を目指し、電子政府を始めとするIT国家への環境整備に取り組もうとしている。すなわち、ITのIが示すように、これからは情報がキーワードとなり、それをどのように扱うかが、企業や国家の存亡に関わるところまで来ているということだ。企業や政府については、様々な事例が数多くありすぎるのでここでは割愛する。その代わりに、君達が12年間経験した学校に関しての近未来を考えてみたい。
IT革命の推進によって教室で生徒が各自コンピューターを使うようになれば、次ようなの事が予想される。明治時代の教育制度施行から100年以上続いてきた黒板を中心とした授業形式が変わるであろう。コンピューターの利用によって、チョークを用いる必要がなくなる。用意してきたデータを版書代わりやプリント代わりに用いてスクリーンに写せば、文字を書いたりする時間を省略することができる。プリント配布の代わりにデータを用いる発想を応用すれば、君達が3年間あるいは6年間受けてきた早朝・終礼テストも、コンピューター上で行うことが可能になる。その上、幸か不幸かコンピューターによる試験の採点は間違いがないし、誤答の多い設問をすぐに発見し、弱点補強する再テストを作成することはいとも簡単に素早く出来るであろう。また、電子ブックの性能が増せば、数多くの重い教科書や参考書を持参する必要はなくなる。さらに、授業が教師から生徒への知識伝授型であれば、教師自体の数はそれほど要らなくなる。なぜなら、それぞれの教科内容を面白くかつ上手に伝えることが出来る教師のCD-ROMやDVDソフト(ビデオテープは無くなるであろう)が出てきてもおかしくないからだ。情報を一方的に発信する点において、今後は生身の教師よりももっと優秀で効果があがるソフトが出現しても不思議ではない。
それでは、教師がいらなくなるかと言えばそうではない。一方的な知識伝授の教育の限界は、日本の高度経済成長の終わりからここ数十年言われ続けてきたが、生徒の能力はただ知識があればよいというのではない。知識伝達以外に教師と生徒の双方のやり取りから生まれる能力の習得もあり、その点がますます強調されるにちがいない。例えば、論理的、批判的、創造的に思考し発表できる能力の涵養である。それらの能力はIT革命下でのネット社会には必要不可欠なものであり、その育成は一方的な授業では身につかない。それらの能力を身に付けるには双方形式の授業形態が必要である。双方形式において教師自らの個性や自らの肉声から発することにより、生徒の頭脳や心に訴えかける技量そのものが問われる。教師自身も生徒同様にこれらの能力の向上を目指す一方で、「自分とは何者か」、「自分は何故教科を教えているのか、また何を教えるのか」、そして、「教えることを通じて生徒から何を学ぶのか」、といった教師としての根本的な問題を模索しその意味を見つける努力を怠れば、IT革命の渦の中で埋もれてしまうことになるであろう。IT時代において、個性や技量なくして教師として生き残ることが出来ないと思われる。そして、個性や技量を伸ばすことは、学校以外の場所でも当てはまるように思われる。君達が近い将来社会に貢献をし、自らの生きがいにつながる仕事をするには、自らの個性や技量を磨くことは避けては通ることは出来ないからだ。
教育の世界が今後どれだけ変化するかは、わからない。チーズをなくした小人のように、変化に対して拒絶する態度を持つ機運が強くなることによって、教育の変化があまり見られなかったり、またあったとしても、遅れたりするかもしれない。しかし、民間企業や政府や社会はますますIT革命によって、変化するであろう。その外部環境の変化がいずれ教育界に大きな影響を及ぼすことにきっとなるだろう。
高校を卒業後、君達が勉強をしたり、仕事したりする際に、今まで数十年間常識だと思われてきた事が目まぐるしく変わり、新しい状況に対応する決断力や行動力が一段と求められることになる。そのような時には、今の私同様に、君達にも変化に対応する決意がいるのだ。既存の価値観だけに捕われることなく、新しい時代、新しい変化に挑戦し、自らの道を切り開いていくことを心から願っている。