問学のすすめ

 先月に、このブログで書き溜めてきた記事を整理編集し、さらに文章を加え、『反転授業の実践知ーICT教育を活かす「新しい学び」21の提言』を上梓しました。前著『反転授業が変える教育の未来』と同じ出版社である明石書店から発刊です。今回の拙著の第1章に「問学のすすめ」と題し、その章の提言として「学びと問いの意味を知る」としています。その内容は、このブログを開設した際に書いたものを改めて整理し、加筆修正したものです。

 

「問学のすすめ」と聞いて、「学問のすすめ」を連想する方が多いと思われます。日本の歴史に名著としてその名を刻み、今で読み継がれている、福沢諭吉による『学問のすすめ』の偉大さや功績は、よく理解しています。しかし、あえて「問学のすすめ」とするのには、「学問のすすめ」に対して唯一勝る点があると考えるからです。

 

 「それでは、「問学のすすめ」が「学問のすすめ」に対して勝る点は、何ですか?」

 

少しの時間(10秒くらいで結構です)、考えて頂きたいと思います。

 

 ・・・・・10秒 ・・・・・

 

 様々な答えが思い浮ぶかもしれません。あるいは、何ら明確な答えが見つからなかないかもしれません。いずれにしても、問いを考えることで、すぐに「問学」の状態になっていることを体験できたのではないでしょうか。

 

 正確に言えば、問いについて考えているので、その答えを自分の学びに繋げる過程までには至っていないのですが、「問学モード」、つまり「問い学ぶモード」にはなっていることには違いありません。

 

 この些細な例のように、「問学」は「問い」から始まるので、簡単に始めることができます。一方、「学問のすすめ」を聞いて、「なるほど」と納得したとしても、「学問」を行動に移すのに「問学」よりも時間がかかります。なぜなら、「学問」という意味の多義性によることと、「学問」をそのまま「学び問う」の意味で理解すると「学ぶ」ことが最初に来るので、その状態に入るのに時間がかかるためです。

 

 現在においても『学問のすすめ』の価値は変わりなく存在するで、それを実践する準備段階として、あるいは、補完するものとして「問学のすすめ」を位置付けることができます。

 

 日常の些細なことに対する「問い」から始め、そこから手に入れる「学び」を日常化とすることで、「問学マインド」と「問学習慣」を身につけたならば、「学問」への扉は身近なものとなり、ひいては、福澤諭吉が語る「学問のすすめ」の復興につながるものと考えます。

 

 


(参考文献)

中西洋介 (2020). 『反転授業の実践知ーICT教育を活かす「新しい学び」21の提言」明石書店